★ 旅のポイント ★
★藤戸史跡保存会の方のガイドで藤戸合戦の史跡を巡ります! ★貸切海上タクシー利用で白石島へ上陸し、白石踊体験! ★プラネタリウムで839年前の金環日食を体験します!
源平の古戦場 藤戸地区を歩く 昔、倉敷市藤戸周辺は小さな島が点在する海でした。800年ほど前、この藤戸地で「源平合戦」として知られている源氏と平家の戦いがありました。児島に拠る平家追討のため、源氏方は藤戸海峡をはさんだ日間山一帯に陣をおきます。しかし、東国武士である源氏は水軍をもたないうえ、舟の扱いにも不慣れでした。源氏方の武将・佐々木三郎盛綱は、地元の若い浦人から対岸に渡る浅瀬の場所を聞き出し、口封じのため殺してしまいます。この逸話は、物語や謡曲『藤戸』のなかに登場して、広く知られるものとなりました。戦ののち恩賞として児島の地を賜った盛綱は、源平の争乱で荒廃した藤戸寺を修復。源平両軍の戦死者と、己の功名のため命を奪ってしまった若い浦人の霊を供養するため、「藤戸寺」で大法要を行いました。 倉敷川にかかる盛綱橋を渡れば、すぐ右手に「経ヶ島」。盛綱が藤戸寺で大法要を営んだ際、書写した経文をこの小島に埋めたことからその名の由来となっており、頂上には経塚と浦人の供養塔が残っています。
源平水島合戦 寿永2年(1183年)、倶利伽羅峠の戦いで源義仲(木曾義仲)に大敗し、都を追われた平氏軍は九州に逃れたのち、屋島に本拠を移します。平氏追討のため四国の屋島へと軍をすすめていた義仲が率いる源氏の軍勢は、水島が途(現在の玉島湾)で平氏軍に海上戦を挑みました。両軍はそれぞれ、当時は海に浮かぶ島であった倉敷市玉島の乙島と柏島に陣を構えました。 源氏軍は約5千人の兵を率い、100艘余の船で陣取り、平氏軍は200艘余の船に7千人が乗り込み海上戦を仕掛けた、とされています。この水島合戦では、正午ごろから日食が起き、それを予測していた平氏軍が、海戦に不慣れで突然の暗闇に動揺した源氏軍に圧勝したとされています。
白石踊り 伝統の踊り『白石踊』はその昔、源平水島合戦で戦死した人々を弔うために始まったとされ、8月13日〜16日の夜に行われる古式ゆかしい盆踊りです。ひとつの口説き(音頭)に合わせて、男踊、女踊など十数種類もの踊りを舞うのが特徴で、他に類を見ない踊りの形式から国指定の重要無形民俗文化財に選定されています。 | 
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